なぜ今Duoなのか?
我々の仕事というのは、その人その人によって物凄く個人差のある世界です。
例えば一言でお医者さんと行っても様々な人がいるように、、、
大病院に勤務している医師、開業したばかりの医師、葛根湯医者、世界的な権威、、、、などなど。
医者でも特殊技能を持った人、例えば外科手術の権威だったらその人に手術を受けるために遠いところから祈るような思いで患者さん達が集まってきたり、、
その人でないと置き換えが効かない、つまりワンアンドオンリー、、
ミュージシャンもある意味特殊技能者だからこれと似ているんではないでしょうか?
その分、我々はスケジュールに名前が書かれている以上、基本、雨が降っても槍が降っても向かわないといけないわけです。
体調の悪い時などは本当に辛く、苦しいのですが、自分を必要としてくれる方々のために演奏できるっていう事は本当に幸せなことです。
生きていて良かった!と思えるまさにその瞬間でもあります。
ドラムに出会って45年!その中でジャズを長くやって来て、特に渡米後からはトリオのフォーマットにはかなり時間をかけてやって来ました。
当初はそのフォーマットでの自分の役割を理解するのにベテランの方々や、海外のアーティスト達と共演する中で追求していましたが、既に長い年月を経た今、さらに自分にしかできない独自な表現に対して更なる興味が湧いて来て、現在のデュオというフォーマットに行き着きました、
デュオというフォーマットは1人が音を出すのをやめればソロになります。当たり前のことですが、ソロとアンサンブルというのは全く空間の豊かさや、時間、グルーヴの分厚さなど表現するときの条件が異次元になるくらい異なります。
演奏するときに聴衆が1人でも現われることによってライブが成立します。
たとえたった1人であってもそこに居るのと居ないのとでは大違いです。
コンサートという定義は勿論、そこに熱が生まれ、気持ちの交流が生まれるのです。そしてついには歴史が刻まれる。
デュオとソロの違いもこれに近いと私は考えています。
ソロは独奏なので即興であれば、演奏者がどこに行ってもよいし、もっと言えば自分勝手に話(演奏のストーリー)を終わらせることもできます。
そう、アンサンブルはデュオから始まるんです。
最小形態でしかも、ソロの状態にいつでもなれる、というかなってしまえる可能性を秘めたとても魅了的なフォーマットだと思うんです。
トリオの場合、一人一人の役割がかなり決まってきます。
王道というか定番というか、、これが一番安定してアンサンブルとして機能する状態にする方向に向かって演奏するとすれば、デュオは1人がしっかり、もう1人は極端な話無茶苦茶やっていてもそれはそれでコントラストとして聞く事ができます。もちろんちゃんとしたもう1人のキープというか演奏があってのコントラストなんです。勿論しっかり合わせるというかユニゾンもありますが、合わせているだけだと何も起こらないので変化やストーリーにならず音楽が停滞します。
様々な関わり方で新しい表現を模索するのがとても楽しいのです。
そんなデュオに今、取り憑かれています。
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池長さんの文章は、音楽を専門的にやっていないけれど、音楽を観たり聴いたりする者にもストレートな想いを伝えて下さるようで、何度繰り返して読んでも楽しい気持ちにさせて頂いてます(^^)
1月のハクエイ・キムさんとのLIVE(@兵庫)、すごく楽しみにしていましたが、あの頃猛威をふるっていたインフルエンザに機会を奪われてしまいました。今月25日の本八幡LIVEで、池長さんと小林さんの世界に触れられるといいなと思っています!どんなんかんな~??(スミマセン、このギャグはミスマッチかも知れませんが、今自然に思い浮かびました^^;)
そうだったんですね?ありがとうございます!!
今は演奏家もちゃんとインスタなどを使って発信し続けなくてはいけない時代になったのですが、、、、
言いたいことはあるのに、なかなか筆不精で、、
でも、そう言っていただけるのであれば頑張って文章書こうかな〜
10月にはTTTとクリスチャンとのコラボが京都でもあるので、すごく楽しみなんです。
そろそろポスターを関西のライブハウスにも置きますので是非ご覧になってください😊