ある医師の話から
朝のTVである医師の方がPCR検査をやって、ある若者が陽性になった時のことを話していた。
来院する殆どは、熱や症状があっても本人は風邪かなんかだと思って来院する訳で、、で、実際その結果を本人に伝えると、「え〜自分がなると思わなかった、、」
とすごく落ち込むそうです。そう、自分がなるはずないと思っていると言うことです。
それは周りに重症者や亡くなった人が居ないからであって、その医師はその陽性になった若い人に、実際に自分がなって、感じたことを是非SNSで発信してください。と伝えるそう。現場での体験から考えられた事なんだなと思った。
毎回マスコミの公共の電波を使って、ステイホームなどと、同じことを繰り返し言ってる知事とは違うなと思った。
そうでなくとも想像力が落ちている現代。
若い人達に訊いてもらえるように、その発信を若い人たち自身がするという事。
啓蒙に時間はかかるかもしれないけどと、仲間や身近な人の言うことは聞いてくれるから、、
その後、の話が、私が日頃思っている持論と近い内容だったので思わず身を乗り出して聞いていた。
患者の病気を診ている医師でも、その本人は殆どの場合その病気ではない、病気で苦しむ患者の気持ちに寄り添うにはその気持ちを察してあげることも大切だと。
そう、患者はその病気のいわばプロフェッショナル。でも何も好き好んでなった訳じゃない。
なのに、これで治らないのは、おかしい、とか、これで絶対大丈夫などと机上のデータだけで話してはいけない、、それらはデータなのだから、ある確率ではそれが当てはまらない事も起こるんだ。
患者は病気自身もそうだけど、人に自分の病気そのものを理解してもらえないことに辛さを感じているんだ。
患者本人は病気をして、弱者の気持ちがわかる。
幸せだった頃のありがたみを知る訳で、、
それはある意味人の気持ちを想像する為にはベネフィットであるのかもしれない。
そんなような内容だったと思う。全く同感だ。
罪を犯した人をコテンパンに批判する、これはある意味、また新たに生まれた別の暴力だ。
小田実の「人間みんなちょぼちょぼや。」じゃないが。
人間は基本は同じ、いいもの食べて、綺麗なものを見て、人と楽しく交流し、幸せに生きたい、みんなそう。
脱線した人や、悪いことをしてしまった人、必ずそこに原因や経緯があるはず、
想像力を持って、その根本と対峙しないと、ずっとギスギスしてしまう。
中国も昔はスゴイ国だったのに、文化大革命からちょっとおかしくなってしまった。
今は世界が彼らのことをよく思っていない。
あれほどの大国がああなってしまうと、そうそういい状態には戻ってくれないだろうが、周りがしっかり見ていかないといけないと思う。
人は力を持つとそれを使いたくなるけど、その力が武器じゃなくて想像力という能力だといいのになあ。
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