2018年 今年もよろしくお願いします!!
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
昨年は北欧のミュージシャンたちとツアーをして、リーダーアルバムがリリースされ喜んでいたのもつかの間、母の病気を機に生活が一変してしまいました。
現在は施設で生活している母に数週に一度面会に行ったり、病院に連れて行ったりする日々が続いています。
母が認知症になってしまった事で、人生とは何か?残りの人生をどう生きるべきかを真剣に考えるようになりました。
一生懸命自分を育ててくれた最愛の人に降りかかった、一見突然の出来事のようで、実は人間であれば誰にでも起こりうる運命というか、宿命だったのかもしれません。
母を横浜に引き取ってから、症状は急激に悪化してしまいました。
環境の変化がいかにこの病気に影響するかを嫌という程思い知らされました。
母には私のようにケアが必要になるほどの持病は元々なかったのですが、晩年はうつ病を患い、一人での生活に辛さを感じていたのは事実です。
とはいえ80を超えた老人に今更できる劇的な手立てはなく、仕方なくやり過ごしていたのですが、薬の量はどんどん増えて、いつ何を飲んだかも本人だけでは管理が難しくなっていました。
離れて住んでいた頃、もういい加減なんとかしなければと頭を悩ませていましたが、様々な事情もあって結果先送りになっていました。
自身のことに立ち返ると、自分の好きなことをやって来たといえば簡単かもしれませんが、だからこその苦難も多々ありました。
好きなことのための苦労なので、苦労とは呼べませんが、難しい事や次々に起こる問題を解決して次に行く的な、、、
日本の一般的な社会生活を営む人からみれば、無駄というか、余計なことをたくさんやって来たのかも知れません、、でも、自分の感覚、感性に逆らって生きることが苦しいと感じてしまう自分にとってはそれが最も自然で最良の決断だったんです。何を自分が幸せと考えるか?です。
そうして来たからこそ得られる幸せもあります。
生きていて良かった、自分は生きていると感じる心からの充実感のようなもの。
演奏家を目指していた頃、19歳で重度の高血圧を発症して投薬、自己管理を余儀無くされ、音楽家のような不規則な仕事は無理かも知れないと医師に言われ、とても悩みました。
でも当時お世話になっていた先生や先輩方に相談して自分はやはり音楽を続けたいと思いこれまでやって来ました。
自分の思う理想にとことん近づいて行くことは、ともすると世捨て人的に一般社会から隔絶してしまうこともあるかも知れません。
自分に正直に行こうとすればするほど他人には理解してもらえないことも起こりうるからです。
50を過ぎてからは、こんな自分でも社会の中で生きていて、社会の中で生かされている、と感じることが増えました。
出世することが親孝行だとしたら、いまの自分は親不孝な状態なのかもしれません。
母が10代の頃に両親を失ない、当時、給料を貯めて買ったという自慢の蓄音機から流れる音楽で生き延びられたように、自分にも音楽が必要でした。今も音楽によって助けられていると常に感じます。
今、年齢的にもキャリア的にも絶頂期をすぎたと社会的には受け取られているかも知れませんが、本人はまだまだ何も達成しておらず、まだまだ未熟で自分に伸びしろを感じていて辞めるわけにはいきません。
体力は持病のケアもあり確実に下り坂、一般的にはすでに初老と呼ばれる年代に入って来ました。
指導に関しては演奏活動同様に真摯に取り組み、頑張ってやって来た自負はあります。
若い人たちに譲らないといけないのですが、指導を続けつつ、もう少しだけ自分の伸び代をなんとかしたい。
本当に自分の才能を生かし切れているのか?
これからどのようにやって行くのか?
明確な答えは未だ出てません、日々悩む毎日です。
ただ一つ明らかなのは、今まで通りやらなければいけない事を続けるだけです。
今年の活動、現在決まっているものは夏にまた北欧のジャズフェスに招聘していただけるということ。
自己の新しいプロジェクトであるデュオ。
そして以前からのカルテットとトリオ。
これら自分のプロディースライブに関して全力投球すること。です。
そしてライフワークである指導、コーチングです。
宣伝もなるべくやって多くの方々に、魂の入った音楽を聴いていただけるよう頑張る所存です。
今年も頑張ります!!
2018年も引き続き、よろしくお願いいたします。
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拝読させていただきました。
新年にはふさわしくないコメントかもしれませんが、
先日、実父の急死という思いもかけない出来事に遭遇し...、
楽しみにしていたA.P.J.のライヴをキャンセルし...、
音楽好きな私ですが、趣味で続けているピアノもドラムも弾きたくないし、叩きたくありません。
そんな日々が続いています。
譜面の世界に入ってしまえば、日常にある多くから一時は逃れられるのに、何かが否定してそれを許してくれないのです。
数年前、義父と義母が同時に認知症と診断を受けました。
自宅での介護に始まり施設へ入所するまでの間、どの様な日々を送っていたのか、今では思い出すことすらできません。
いえ、思い出したくない自分がいるのでしょうね。
池長一美さんというドラマーを知ったのはそんな時でした。
難波弘之さんのアルバムに一曲だけ収録されていたA.P.J.のラビリントス...、体中に沁み渡る音...。
私ももう少し気持ちが元気になれたら、音楽を聴くことから始めます。
だから、今年も聴かせてくださいね。
音楽に救われる人間って確かに存在するのですから!
そうだったんですね、お父様のこと、なんとお答えして良いのかわかりません、、、
今の私にはお察しするしかありません。
最近時の流れというのをひしひしと感じます。
自分がある程度の年齢になったことによりそう思うのでしょうが、
自分の母にしてもあんなに元気だった人間が、、という気持ち。
どんなに今輝いている人も最後はグタグタになって行くのかと、、
時間は戻ってはこない、だからこそ自分らしく生きて今を本当に精一杯輝きたいと思います。
でも、心底辛い時には頑張らないこともアリだと思います。
いつも頑張る必要はない、自分自身に優しくしてあげることも必要かと。
最近は自分にもあまりにたくさんの事があって、もう格闘するのは疲れてしまって、どこか達観している自分もいます。
どんな状況でもその境遇に浸るというのも経験という意味なのかもって近頃感じます。
自分の力ではどうにもならないことはあります。
今介護している母ももし亡くなってしまうような事になった時どんな気持ちになるか今の自分には分かりませんが、時の流れを止めることはできない。
今までどこかで若気の至りか、自分は時の流れを甘く見ていたと思います。
今がどんどん過去になって行く。
音楽は時間芸術で音が生まれた瞬間から消えて生きます。
まるでその縮図を見ているような、、
年齢を重ねると今に対する密度がずっと濃くなるような気さえします。
その価値に気づいてくるからでしょうか、、
認知症の母は全く普通な時もありますが、ほぼ瞬間瞬間のまさに”今”に生きている時が増えてきました。今後状況が良くなることはもう母の病状では望めないので、美味しいものを食べるとかその一瞬一瞬を幸せに楽しんで欲しいと心底思います。
日々のなんでもない事がこんなに大切なんだということを教えられます。
ごめんなさい、おっしゃるように新年早々の話題にしては重すぎますが、音楽というハレの時間をモテる自分はラッキーだと思います。
聴いてくださる方がいるって事が本当に有難い事なんです。
大切なお父様を失った悲しみは計り知れませんが、傷が癒えて以前のように暮らせることを祈っています。